ささくれを気にする

話すほどのことでは

懺ゲロ

恋愛って難しいなといつも思う。

好きだから側にいたいとか、好きだからその人に幸せでいて欲しいってなるのが普通なのに、嫉妬とか不安とか寂しさとか、自分の気持ちも相手のことも思うようにいかないことばかりで、心が乱れてしまう。

この間、お互いの予定の兼ね合いで(主に私のせいで)相手のことをひどく疲弊させてしまった。「仕事にも君にも疲れた」って。ぐっさり刺さっちゃって、「落ち着いたら連絡して」って返して、数日連絡がない。

たびたびLINEの通知が入るたびにスマホを開くけど、なんで追加したかわからない企業アカウントからで「あー」って思ってる。ずっと頭の中を自然消滅っていう4文字が巡ってる。

やらかしちゃったのは私だし、これ以上追い連絡いれたとこで状態が悪化しそうだから放置するしかないんだけどやっちゃったなぁって感じ。

恋愛ほんと向いてないなぁ。人間関係があまりにも苦手すぎるわ。わたしもうまく人と関わりたいんだけどな。

比較的真面目な話

全員が思ってると思うけど、Twitterの治安がずっと悪いな。こんな悪いことあるんだってくらい。

いつか歴史的な資料になるかもしれないので、ザザッと概要を書いておくか。

 

TwitterというSNSには少し前まで認証バッジというシステムがあった。Twitter社が「本物」または「公式」のアカウントであるものを担保するものだった。半年前くらいから認証バッジはサブスクで購入できるものとなった。同じくらいからTwitterは収益化が可能になり、その少し後くらいに名前をXに変えた。(時系列少しバラバラかも)

このシステムに切り替わってから、(少なくとも個人的に)青い認証バッジは「本物」かどうかを確認するためというより、「Twitterに課金してるかどうか」の判断基準になったし、ひいては「Twitterで儲けようとしているかどうか」の判断基準にもなりつつある。大量の認証済みAIアカウントがバズったツイートにリプ、引用リツイートをしまくり、その様は「インプゾンビ」と呼ばれるようになるなど、阿鼻叫喚の様である。

 

わたしが1番恐ろしいのは、もともと人間かどうかの感覚が希薄になるSNSで、人間かどうかを見分けることがほぼ不可能になったことである。

以前からスパムアカウントは存在していたけれど、文章や内容から人間かどうかを判断するのは比較的容易だった。ただ認証バッジの付与、chatGDPの普及で文章を読むだけでは人間かどうか判断することはできず、プロフィールや過去のツイートを辿っておそらく人間ではなさそうという判断をするしかなくなっている。

今のところはバズったツイートにリプするとかで済んでいるけど、このアカウントがフェイクニュースを無限自作+発信するようになったらどうなるんだろう。

だんだんとインターネットが混沌としてきた。もうこの媒体で本当の情報にアクセスするのはできなくなってしまうかもしれない。情報はどこに行くんだろう。

冬の贅沢ごろっと文字数仕様(780円)

Twitterとかブログとか人とのLINEとか、わたしは日本語を好きにしていいと思いがちなところがある。

具体的にどういうことかというと、すぐに(人によっては)変で冗長な言い方をしてしまうのである。

例えば「今日は眠くてなかなか目が覚めない」という内容を書くとすると、ひどい時には「今日は眠みすぎが山の如し、おめめぱちこりならずですね…。」とかになる。わざわざ文字数を増やして分かりづらくするという、人によっては理解不能なことをしてしまう。

これは、ただ単に言葉を知らないとか、可愛さオモロさアピールでやっているところもあるのだけど、半分くらいは、より自分の身体に正確でいたいからやっているのだ。

だって目よりおめめの方が目が2つあるような感じがするし、眠い時の眠気は山みたいに乗り越えられないぐらいデカいし、目を開こうという意思はあるけど開かないし。「眠くて目が覚めない」じゃ全然伝わんないの!そもそも目が覚めないなんて的確な言い方できるやつ目、覚めてそうだし!!!!

あんまり理解されないスタンスなんだけど、おそらく、言葉がはやく、正しく伝わることに大して重きを置いていなくて、どちらかというと自分の感覚でそのときしっくり来る言葉をたくさん使いたいんだと思う。短くて分かりやすい言葉を使った方が伝わりやすいのかもだけど、ちょっと味気なかったりするんだよ。せっかくわたしが話すならわたしの言葉を使いたいじゃない。文字なんてふんだん贅沢仕様にしたって場所も取らないしサ。

いつかね、わたしの側で笑ったり泣いたりする人が現れたら私の辞書をつくって欲しいな〜とぽんやか思う。今日はそんな日。明日は違うかもだけど。