ささくれを気にする

話すほどのことでは

アートという表現への私怨

アートという表現がすこぶる苦手である。

ただこれから書く文句については、よくアートを知らない奴が少ないサンプルでアートという表現をこきおろす内容となるので、気楽な文章として読んで欲しい。

 

まず、言葉が広すぎて苦手だ。絵画、音楽、デザイン、建築、服飾などちょっと工夫して作られたものは全部アートとなりうるし、そこから転じてちょっと工夫を凝らした価値観、生き方までアートだと銘打たれる。流石にどうなの?と思う。

 

もし私がアート過激派、または怠惰な辞書編集者だったら開いたページの半分をアートのことで済ませちゃうぞ。だってあれもこれも全部アートではあるもん。

 

そんなことが起こったら辞書の暗記がめちゃくちゃ楽になっちゃうし、クイズ番組だって超易化するぞ。結果あれだ、クイズノックが追い詰められるぞ。あんなに教育にいいコンテンツを出しているのに。そんなことあっていいわけがなさすぎる。

 

そのくせ、アートって言葉がカッコ良すぎるのがしゃらくさくて気に食わない。綴りにして“ART”無駄のないアルファベット3文字、日本語だと芸の術と書くんだぞ。どう考えてもカッコよすぎるだろ。世の中にはコッペパンとか、おっぺけぺー節とかいう単語もあるんだぞ。スタイリッシュすぎて申し訳ないとかいう気持ちはないのか?そういう周囲に配慮ないところもムカつくんだよな。

 

んでさ、アートってなんだかんだおもろいのが余計悔しい。Twitterとかインスタにいる、ひらがなばっか使って髪の色がようわからん、水みたいな服着て、鼻にかかった声で喋る、本当に嫌いなタイプの人間でも作ってるものは意外とよかったりしてうっかり感心しそうになるのが悔しすぎる。

 

加えてそういうやつ、だいたい自分の推しとFFだったりするんだよな。本当にいい加減にして欲しい。こういうのが結局わたしもお前も好きなのかよとも思う。仲良くなる可能性があったうえで交わらないから余計に腹立つんだよ。

 

そういうわけで、完全に私怨にはなるが今日からアートはポケチャナスという言葉に置き換わって欲しいし、アーティストはポケチャナサーと名乗って欲しい。自己表現をするならそれくらいの恥を引き受けろ。スカすな。私のとこまで降りてこい。ポケチャナスになっても、ポケチャナスを続ける奴だけがポケチャナサーを名乗れ。ポケチャナサーとして駆け抜けろ。そしたらわたしもポケチャナスで満たされた広辞苑を開いて笑い転げてやる。