ささくれを気にする

話すほどのことでは

好きなことで生きていくということ

YouTuberの台頭で広がった「好きなことで生きていく」という言葉だけど、これを実践している人を目の当たりにすると、素直にすごいなぁと感心する。

 

生業にする、つまり金にするという行為にはあまりにもストレスがかかる。

 

例えば、ブログで金を稼ごうと思ったら、まず興味関心を持たれるコンセプトを決めなきゃだし、書きたい題材が見つかっても、コンセプトに合っているか、人々はそれに関心があるのか?と調べなきゃだし、たとえ題材が揃ったとして、書きたいところだけ書けばいいわけじゃなく、導入を作ったり、読みやすいよう整えたり、事実のチェックをしたり。

 

ちょっと考えただけで、あまりにもやることが多すぎる。多分金を本気で稼ごうと思ったら、書くというパートより、調べたり削ったりのパートの方が多くなるだろうなと思うし、実際そうなんだろう。本当に大変だ。こっちはブログ書きたいのに調べさせんなと激昂しちゃうかも。

 

そういったわけで、このブログには一切のアフィリエイト等広告を入れないことにしている。絶対に儲けたくない。より正確に言えば、金が発生することによるダルさを一切引き受けたくないからである。わたしは文章を書きたいのであって、それ以外の労力は断固拒否したい。

 

話が逸れたが、こういう無限にダルい過程を好きなことで踏むというのは、わたしは、めちゃくちゃコスパ悪いなと思ってしまう。やりたいことと求められてることの折り合いをつける前に、求められることの重圧で好きなことが潰されるのが手に取るようにわかる。これを乗り越えようとする時点でメシを食おうとしてる人はすごい。人間としての馬力の違いを感じる。

 

しかも、しばしば好きな事で生きていく人たちには、このダルさを表に出さないことを求められるように見受けられる。好きなことして稼げて楽でいいねみたいな視線を向けられる。絶対に耐えられない。金に変えてる時点で苦労してるに決まってるから。

 

こういうことを考えると、クソ面白くないな感じるコンテンツでも見る目が変わってくる。彼らも彼らで、自分がしてるそれを面白いと思ってやってないんだろうな。顔も見えない世間の顔色をさぐりさぐりやってんだろうなとか想像する。

 

金を稼いでいる人は皆平等にえらい。同様に何かしらを差し出してる。今日も頑張ろうね。